開祖・谷口雅春先生御降誕百三十二年奉祝祭、 「開祖の御著書」献本整理会第2回目が開催される

令和七年十一月八日から十三日まで五泊六日で、百三十二回を数える開祖・谷口雅春先生の御降誕祭および、第二回になる「ご著書献本整理会」が高知本部で開催された。

 参加の方々は笑顔や挨拶を交わして「神霊殿」に集合した。「神霊殿」に内宮として二階に創建された「春永榮神社」および、並び建つ「神明宮」「住吉神社」にての、御降誕を祝う奉祝の式が、初日午後から幕を開けた。

「春永榮神社」を含む三殿、また光輝観音堂内2箇所にはそれぞれ、お供え物が上がり、まず「三殿」御前にて国歌斉唱、修祓のあと、宮澤潔代表により開祖の132回目の御降誕日奉祝の祝詞が奏上された。

続いて代表の「開祖への感謝の辞」のあと、参加者代表として支部長による「感謝の言葉」が捧げられた。

 その後、会歌「開祖ここにあり給う」合唱などがあって、のち、向かい側にある「光輝観音堂」へ場所を移した。

『甘露の法雨』読誦、および般若心経唱和が行われ、そのあと「輝子先生」を讃える「輝子先生讃歌」合唱。本尊として今回新たに加えられた観音像掛け軸の由来の話しなどが代表から伝えられ、さらに「永代供養堂」へ廻って供養礼拝、閉式となった。

 第二日目日曜日から木曜日までが献本整理会となった。

この間、毎日早朝行事を朝8時から神奈川県の支部長さんが先達として行じて下さった。

「神霊殿」の隣にまだ引き続き借りている旧会館にご奉仕の方々が集まり、皆さんすでに第一回にも奉仕されて万事飲み込まれていて、手際よく、まごころ籠めてどんどん作業された。お茶やお昼、夕方の食事以外は動いて下さったので、予定されていた殆どの作業が片付いた。昼食夕食は工夫された手作りで、団欒をたのしみながら意見交換の時間ともなった。

旧会館での作業の合間に、「神霊殿」一階の「宝物殿」への献本の搬入が次々おこなわれて、新たに壁一面に構えられていた相当大きな本箱を全部満たし、隣設の「書庫」にも、みごとに種類別に区別されたご著書が並んだ。その多さに、いかに開祖が多作であられ、おなじ『生命の實相』でも、時代ごとに装幀を新しくし、巻を増減させて整理再版し続けられたかが、一目瞭然に分かり皆が感動した。それは開祖の、布教へのまごころ溢れたご計画だったとしか思われない。

六日目の献本奉仕の最終日は、高知駅発最終便の夜行バスで関東方面に戻る方が、夜七時半過ぎまで奉仕を続けられたのが印象的だった。その他九州から、愛媛また兵庫から遠路電車やバスに揺られてご参加された皆々さまに深く感謝申し上げます。また次回も献本整理会でお会いできることを願っております。(ときみつる會広報部)

 

 


令和7年3月10日から8日間、『神靈殿』内「宝物殿」へ貯蔵の、 準備献労伝修会を開催!

ときみつる會』では、去年7月に「神靈殿」を創建したが、殿内に「宝物殿」をしつらえ、開祖・谷口雅春先生のあらゆるご著書および、お直筆の掛け軸・扁額、円額、輝子先生ゆかりのお着物などを、しかるべき方法にてしっかりと貯蔵、あるいは開示する計画を進めている。その一環として、この春、奉仕の会員に呼びかけて倉庫にあったそれら宝物を全部会館へ引き上げて整理することが始まった。

 応募していただいた皆様の中には8日間フルに参加して協力を惜しまない強者もいらして、大変はかどって感謝に耐えないことだった。主婦の方々も遠路、また近県からも参加、お力をいただいた。

 

 倉庫には、発会当初から募集してきた〝宝物〟とも言えるご著書、書道が山のようだったのが、すべて移され、題名や冊数など記録できることとなり、いよいよ宝物殿に飾られる日も近いだろう。開祖のものされた著作の多さに直に接した皆様は、そこから発する開祖の愛国の理想、光明化運動への精神、人々への布教のまごころを強く感じて作業されていた。(広報部)

 

 

第四十回護法伝修会にての献本整理

今回3月の準備献労伝修会のようす